欲望の前での平等を - 『SEX EDUCATION』



『SEX EDUCATION』はメイヴの快楽が生んだ物語だ。登場人物の数だけセクシュアリティ、欲望、快楽があり、それぞれにユニークな悩みがあり、オーティスのカウンセリングや仲間の協力でその悩みを解決しそれぞれが成長していくドラマは、多様な性のありかたをそのまま肯定し、そして多様な性を多様な人間関係として開いていく倫理へのチャレンジでもある。しかし、この多様性の解放または祝福、セクシュアリティ、ジェンダーを取り巻く古い規範意識への挑戦としてこのドラマが表現され受容されたとしても、この物語は、メイヴを貫通する複数化した欲望――「他者の欲望」を欲望するメイヴの物語である。シーズン1、2を通じて、メイヴの快楽が直接語られることはない。チンコ噛みと呼ばれるビッチとして性的に描かれ、水泳部エリートのジャクソンとセックスをにふけるメイヴは、むしろどこか禁欲的ですらある。オーティスとの恋の物語も、性に悩む登場人物たちと比べて、メイヴの快楽や欲望は何なのかはわからないまま、じれったく進む。しかし、彼女の快楽は全て最初から提示され、物語の推進力、もしくはそれ自体が物語となっているがゆえに「描かれる」ことはない。さらに、メイヴの快楽は二重に禁止されている。

ずっと前から物語が始まっていたような顔で



使われなくなったトイレの個室から聞こえてくる謎のうめき声。メイヴとオーティスがその個室のドアを開けると、いじめっ子でどこか孤立しているアダムが「武器になる」くらいに勃起した巨大なペニスを隠す。二人は立ち去ろうとするが、アダムは助けを求める。彼はバイアグラを3錠飲んでいた。オーティスがわけを聞いても「気持ちが盛り上がるぞ、試してみろ」とアダムはいきがってはぐらかす。しかしメイヴは、アダムがセックスで射精できないことを知っていた。アダムは正直に答える。「プレッシャーだよ」「どうしてバイアグラを?」「硬くしたかったからだ」「どうしてできない?」「わからない」彼女とのセックスの途中で、やり方は間違っていないか、上手にできているか、そう思われているかもとか、イッた瞬間に校長でもある父親が部屋に入ってきて顔を観られるのではないか、アダムは個室の中から不安を告白した。

オーティスが即席のカウンセリングを始める。「それはセックスあがり症のようだ。ペニスが大きいとかなんとかは関係がないんじゃないかな。父親のことを聞かせてほしい」アダムは収まらなくなった勃起への怒りへのあてつけのように、厳格な校長を父親として持つこと、その息子として高校生活を送ること、ペニスがでかいと陰口を叩かれていると嘆く。「普通の子供だったら、普通のサイズのペニスであれば、普通の父親だったら」と、願いを口にする。オーティスは続ける「君は、自分自身の物語を自分でしっかりと持たなければいけない。物語に自分をコントロールさせてはいけない。事実は変えられないから受け入れなければいけない、ただ見方は変えることができる」しかしアダムにはピンと来ない。メイヴはオーティスのスピーチの行く先をじっと見つめる。 「学校の誰がどう思おうと関係ない。君は君だ。他人に自分を渡してしまうな」アダムは何か得たような顔で「みんなが間違っていて、おれは最高ってこと?」と、オーティスの助言を解釈する。メイヴはくすりと笑いオーティスと目を合わせるが、オーティスは一瞬の間を置き、続ける。メイヴもそれにすぐに聞き入る「自分のペニスも環境も誇りに思うんだ。両方とも変えられないんだ。配られた手札で勝負するしか無い」 メイヴは微笑みを浮かべ、アダムはトイレの壁から顔を出し勃起が収まって来たことを伝える。

この出来事をきっかけにしてセックス・セラピストを両親に持つ息子でありながら、セックスの経験もおろかオナニーにチャレンジしても途中で気を失ってしまうオーティスが、「ちんこ噛み」というあだ名をつけられているクールでスレたメイヴとタッグを組み校内でセックス・カウンセリングを始めることになる。メイヴがオーティスにセラピーの話を持ちかけるシーン。「セラピー?」「セックス・セラピーよ」「あんたには才能があるから。才能あるから使わなきゃね。アダムを助けたでしょ」「助けてないよ。嫌われたし」「彼はイッたのよ。あなたの言葉でイッたんだよ。そんな感じ」オーティスは躊躇する。メイヴは「じゃあ気にしないで」と言って立ち去る。オーティスが頭をかきむしり悩んだあと「メイヴ!」と声をかける。そのオーティスを背にカメラに向かって歩いてくるメイヴの顔は、オーティスが必ず「やる」と返事をすること、その始まりとこれからの結末を全て最初から信じている。「僕はセラピーに向いてない」「そんなことない、わたしは見たから」


高校のすみっこでヒックリ返ったケアベアの平等の魔法はみんなの公然の秘密



わたしたちが知り得る事実としてオーティスは童貞だった。そして高校生活の俗世にまみれるより「すみっこで何者でもないまま高校生活を終わりたい」と自ら漏らすオーティスに、一般的に言って性のアドバイスをする資質はなさそうだ。メイヴはもしかすると一回きりの奇跡だったかもしれないオーティスのセラピー行為の向こうに何を見たのだろうか。彼女は、性の悩み、欲望の前で我々は徹底して平等に扱われる、という世界を見ていたのではないだろうか。性にまつわる悩みの解決は一般的に精神分析、心理学、社会学的に因果関係を探っていくことから始まる。オーティスも初回のセラピーでは「チンチラのフェラチオ」理論を用いて正しいセラピストを演じようとするが失敗する。このドラマでは、フェティシズム、セクシャリティ、性欲、愛、リレーションシップにまつわる問題を、原因の描写と、解決の描写という物語の表現方法を拒否する。精神分析や社会学など、何かしらの能力を持つ者が「性の悩み」の原因を究明し、無知なものに解決策を提示しない。オーティスは明らかに彼自身も知らない、セラピーを受ける人の欲望を肯定し、それをなんとか教えようとしている。自分自身ですらもなにも分かっていないのに。

メイヴがオーティスの言葉の才能を通じて見出したのは、言葉によって心を動かす力ではなく、人が言葉と欲望によって自らの心を動かす力だ。オーティスの「正しい」カウンセリングの言葉や理論はアダムにどれだけ正しく伝わって響いていただろう?もし伝わっていたとすれば「それは他の人が間違っていて、おれが最高ってこと?」というアダムの解釈はどこかおかしい。だからこのシーンは笑えるし、メイヴも笑ってしまった。オーティスのどこか空回りする精神分析の言葉であれ、詩的な言葉であれ「変な性の博士」っぽい言葉であれ、そこには理論や理屈ではなく何か別の物がある。アダムはそれを自分勝手に感じ取り、自分を物語る力として利用する。その能力をメイヴは、オーティスとアダムに見つけた。資格も知識もないオーティスのセラピーが、性の悩みや欲望を通じて自己を作り変えていく、欲望や快楽のもとで平等な世界のイメージの世界をメイヴは観た。思い切って言い換えると、それがメイヴが愛したフェミニズム文学の世界である。メイヴを貫通するのは、フェミニズム文学者たちによって困難を伴いながら綿々と受け継がれてきた他者の欲望、そしてと欲望の前での平等を希求する哲学である。

オーティスのこの魔法のような平等の能力を引き出す力は、逆説的だからこそ力を増す。何者でもない「16歳のゲイでもない男子がわたしたちの関係を魔法みたいに解決できるわけない」と、レズビアンのルーシーのようにおそらく誰しもが信じていない。オーティスのそもそもの評判はカウンセリングの信頼性を明らかに損なっている。しかし、その平等の能力が発動するためには、オーティスに「本当に」何かしらの能力があってはいけないのだ。高校生たちがオーティスとセラピーに対して「本当に性の悩みをアイツが解決してくれるかどうか」と疑うほど、「なぜか悩みを解決したらしい」という噂に不思議な力が備わる。オーティスは普通の人だという公然の秘密の共有は、セラピーに来る人を欲望の前での平等の魔法にかける。能力がないと信じているのに解決されるという矛盾はここでは矛盾ではない。

バロック・ムーンバーストと侵犯



だからこそメイヴはオーティスがとびっきりの商品になると考えた。その点では彼女には才能を見出す才能も、数字の才能もあった。しかしセックス・セラピー、もしくはオーティスの言葉の才能の商品化は、メイヴが彼の才能に触れることを二重に禁止することになった。まず、セックス・セラピーはカウンセラーと患者同士の秘密である。メイヴはカウンセリングのアポを取り、現場の近くでただ待ち、金を受け取るだけだ。あとからオーティスにカウンセリングの内容をどうだったと聞いたとしても事実関係を伝えられるだけで、その会話自体は秘密のままだ。彼女は経営者としてカウンセリングを商品とすることで、彼女がカウンセリングを受けることも原則的にできなくなってしまった。「ジャクソンと付き合うのは嫌なの?」「セラピーはしない。クライアントに取っておいて」

セラピーが、セラピストと患者の間で秘密の儀式として行われていても問題ではない。バイアグラ3錠でパンパンに勃起したペニスがオーティスのセラピーによってまたたく間に小さくなった。言葉でイカせた奇跡は永遠に生きているからだ。信じている。ただ、メイヴは近くで待っている。レズビアンカップルとのカウンセリングを終えた時、メイヴは落ち合わせた階段ではなく、すぐ後ろで待っていた。プールでセックスの練習をしたときも。商品としてのセラピーの力を信じ、うまくいっていることを実感しながらも、その力に直接触れる快楽を自らに禁じてしまったメイヴはそのギリギリまで近づくことしかできなかった。

メイヴの兄から買ったドラッグの力で月のギリギリに近づいたのはリアムだった。リジーに盲目的に恋するリアムは、全校生徒が集まったダンスパーティの舞台に輝く月によじ登り、リジーにこりなく告白する。リジーに拒絶されたリアムは飛び降りようとする。「僕は降りないぞ。リジーは僕を愛してくれない。誰も愛してくれない。ジャンプするぞ」リアムから相談を受けていたオーティスが止めに入る。二重に禁止されたカウンセリングがメイヴの目前で始まる。今やメイヴはジャクソンと付き合っているから三重と言ってもいいかもしれない。

「僕たちは 両思いになるとは限らない。苦しいけど仕方がない」「わかるよ、僕には分かる。相手が思ってくれない胸の苦しみ。忘れることができない」メイヴがオーティスを見つめる。 「やるせない気持ちだよな。でも人を無理強いすることはできない」「愛は月や星のような大げさなものじゃない。ただの運だ。同じように感じる人に出会うこともある。そうじゃないときもある。いつか君を理解してくれる人に出会う。誰かが君のために月によじのぼってくれる 」「君はすてきだ。そしてひたむきだ」「地球には70億人いる」「いつか君も誰かを幸せにするよ」「月から落ちてしまったらそれもできない」…「わかった降りるよ」

固く守られていた禁止が突然侵されてしまったシーズン1のハイライトだ。いくらオーティスのリアムへの言葉が、無意識のうちにメイヴに向けられたものであって、それにメイヴが気付いていても、メイヴはそれを十全として受け取り、応えることはできない。一瞬、雲間から差し込んだ細い細い三日月の光の筋を覗き見ただけだ。動かされてはいけない。ただ、これほど淫らなことはないことをメイヴは知っている。

エッセイ代筆業



ドラッグ中毒の母を持ち、世界で1番面白いけどどうしようもない兄を持つメイヴの校内でのビジネスはセックス・セラピーだけではない。フェミニズムや文学を愛し、先生からもその才能を認められているメイヴは高校の同級生たちのエッセイ(レポート)の代筆も行う。そもそも代筆という特殊性を置いておいても、文学について、もしくは文学を書くということは、何者かになりきって書くということだ。それは他者、そして他者の欲望の存在を認め、それを模倣するという行為でもある。資格も知識もないオーティスのセラピーが、性の悩みや欲望を通じて自己を作り変えていく、欲望や快楽のもとで平等な世界のイメージが、ここでフェミニズム文学とフェミニズムを書くということに接続する。

文学を読むこと、文学について書くことは彼女の情熱だがメイヴはそれを「代筆」という商品とせざるをえなかった。メイヴは代筆したエッセイが優秀と評価されたとしても、それをオーティスが見抜かなくても、メイヴは読むこと、書くことの快楽を十分に知っているだろう。ただし、メイヴはそれを自分自身で書いた真実を口にすることを禁止されている。アダムのために代筆した夢についてのエッセイが優秀賞を取ったとしても、誰にも悟られないように唇を一瞬あげるだけで喜んではいけない。復学を申し出て校長に拒否されたあと、校内放送で自分が書いたエッセイを読み上げるという行為も、代筆という商品の秘密の力があってこそだ。

オーティスはアダムのエッセイがメイヴのものだと気づく。「君のエッセイ好きだよ」「あなたは私のエッセイを読んでないでしょ」「確かに読んではない。けど、エッセイを聞いたよ。夢と共に 私たちは生きる。独りきりで。荒涼としている」「視点によるわ」「どうして私のエッセイってわかったの?」「きみだけだよ、夢のテーマを実存主義の苦悩として考えるのは」「楽観主義者より悲観論者のほうが長生きするから」「じゃあ僕らは長丁場だな」メイヴは微笑む。「トロフィーは君のものだ。次は誰にもやるなよ」オーティスと、ダークでウィットある冗談を交わす時のうれしそうなメイヴの顔は最高だ。

大きな窓がある部屋を



メイヴはトレーラーハウスで一人、シルヴィア・プラス、ヴァージニア・ウルフ、ロクサーヌ・ゲイのページをめくる。メイヴは、欲望の物語がわたしたちみんなを自分自身から解放してくれると信じている。彼女の他者の欲望を信じ、万人が持つ欲望の前での平等をオーティスの才能で解放させていくが、メイヴを取り巻く環境は、メイヴにとっても救いの手段であるはずのセラピーと書くことを売り物にさせた。だから彼女は救いから遠い。

メイヴの快楽が生み出した数々の平等の物語 ―― 悩む高校生たちが欲望を目の前にして平等の力を開放していく瞬間を、ドラマの視聴者としてわたしたちは観る権利を与えられている。次はメイヴだ。メイヴの禁欲的で倒錯した欲望の物語の行方をわたしたちは見守る。今はまだかもしれない。それでもわたしたちは信じている。大きな窓のある部屋を夢見るメイヴも、必ず欲望の前の平等の能力をもってして解放されることを。

「立ち止まって罵ったら負けだからね――と、わたしは彼女に言いました。同じように、立ち止まって笑っても負けになる。ためらって口籠っても駄目。跳躍することだけを考えてねと、まるで全財産を彼女の背に賭けたみたいに、わたしは懇願しました」 ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』p.164